Author: | ドストエフスキー, 米川正夫, 上妻純一郎 | ISBN: | 1230003085370 |
Publisher: | 古典教養文庫 | Publication: | February 15, 2019 |
Imprint: | Language: | Japanese |
Author: | ドストエフスキー, 米川正夫, 上妻純一郎 |
ISBN: | 1230003085370 |
Publisher: | 古典教養文庫 |
Publication: | February 15, 2019 |
Imprint: | |
Language: | Japanese |
妻アンナへ(一八七九年八月十三日)
……かわいいアーニャ、わたしは自分でもたえず自分の死ぬことを考えている(ここで真剣にそれを考えるのだ)。それから、お前や子供たちに何を残してやれるか、ということも。みんな家には金があると思っているが、なんにもありゃしない。いまわたしは『カラマーゾフ』という重荷を背負っているが、これはうまく完結させなくてはならない、宝石細工のように仕上げなくてはならない。ところが、これは骨の折れる冒険的なもので、おびただしい力を持っていかれてしまう。しかし、これはまた運命を決する作品で、これがわたしの名声を確立してくれなければならない。さもないと、なんの希望もなくなってしまう。
(「ドストエフスキー全書簡集」について)
この古典教養文庫版の「ドストエフスキー全書簡集」には次のような特長があります。
1、現在では使われない言い回しや言葉は、現在普通に使われる言葉に置き換えました。現代人には意味の取りにくい文は、平易な文に書きなおしました。しかし、その場合でも原訳の高い格調はできるだけ損なわないように最大限の配慮をしました。
2、原文で触れられた場所、人物、絵画などを中心に、関連する画像を、著作権フリーのものにかぎって、いくつか挿入しましたので、より興味深く読み進めることができます。
3、わかりにくい言葉や、登場人物、でき事、作品などについての適切な注を、編集者が割り注の形で入れましたので、本文の理解が深まります。
この「ドストエフスキー全書簡集」は全体を十巻に分けてあります。以下のように分かれています。
年毎に詳しい年譜をつけましたので、書簡集の内容を理解する手助けとなります。
一、ドストエフスキー全書簡集1 ——服役まで
一八三二年(一一歳)〜 五四年(三三歳)
二、ドストエフスキー全書簡集2 ——最初の結婚まで
一八五五年(三四歳)〜 五八年(三七歳)
三、ドストエフスキー全書簡集3 ——「地下室の手記」まで
一八五九年(三八歳)〜 六四年(四三歳)
四、ドストエフスキー全書簡集4 ——「罪と罰」の頃
一八六五年(四四歳)〜 六七年(四六歳)
五、ドストエフスキー全書簡集5 ——「白痴」の頃
一八六八年(四七歳)〜 六九年(四八歳)
六、ドストエフスキー全書簡集6 ——「悪霊」の頃
一八七〇年(四九歳)〜 七二年(五一歳)
七、ドストエフスキー全書簡集7 ——「未成年」の頃
一八七三年(五二歳)〜 七五年(五四歳)
八、ドストエフスキー全書簡集8 ——「作家の日記」の頃
一八七六年(五五歳)〜 七七年(五六歳)
九、ドストエフスキー全書簡集9 ——「カラマーゾフの兄弟」の頃
一八七八年(五七歳)〜 七九年(五八歳)
十、ドストエフスキー全書簡集10 ——死去まで
一八八〇年(五九歳)〜 八一年(死去)
この本は、その9にあたります。
なお底本は以下のとおりです。
ドストエフスキイ全集 17
訳者 米川正夫
河出書房新社
昭和四十五年十一月三十日 初版発行
昭和五十六年六月八日 第八版発行
(ドストエフスキー翻訳の金字塔!)
訳者米川正夫(1891—1965)は、岡山県に生まれました。1909年東京外国語大学ロシヤ語本科に入学、旧友の中村白葉などとともに『露西亜文学』を創刊します。1914年処女出版として新潮文庫からドストエフスキーの「白痴」を刊行開始しますが、この時は第四巻で中断の憂き目をみます。
その後幾つかの職を経験しながらも、1929年に白葉とともにトルストイ全集を岩波書店から刊行します。1935年の「罪と罰」を訳し、ドストエフスキーの五大長編をすべて訳し終わりました。
戦後は、個人訳による「トルストイ全集」(全23巻)と「ドストエフスキー全集」(全18巻)を刊行しました。
ドストエフスキーが日本にこれほど受け入れられたのは、この米川正夫による業績によるところが大きいと言われます。まさに金字塔と言えるでしょう。たとえば、小林秀雄はドストエフスキーについての評論を数多く書いていますが、そこに引用されているドストエフスキーはすべてが米川正夫のものによっています。また三島由紀夫の「仮面の告白」の冒頭引用されている、「カラマーゾフの兄弟」のドミートリーによる「熱烈なる心の懺悔」もまた米川訳によっています。
(古典教養文庫について)
古典教養文庫は、日本のみならず広く世界の古典を、電子書籍という形で広めようと言うプロジェクトです。以下のような特長があります。
1、古典として価値あるものだけを
これまで長く残って来たもの、これから長く読み継がれていくものだけを選んで出版します。
2、読みやすいレイアウト
文章のまとまりを、適切な改ページで区切って、電子書籍デバイスはもちろん、スマートフォンやタブレットなどでの読書に最適化しました。またMacやパソコンでも読むことができます。
3、すばやい操作性
索引を付けましたので、目次から直接アクセスできます。
4、美しい表紙
プロのデザイナーによる美しい表紙をつけました。書籍と関連づけられた美しい表紙で、実際の本を読むような感覚に浸れます。
5、スピーディーな改版
紙の本と違い、誤植の修正や改訂などすぐに対応でき、刻々と進化を続けます。古典教養文庫のブログに書き込むことで迅速なレスポンスが得られます。
妻アンナへ(一八七九年八月十三日)
……かわいいアーニャ、わたしは自分でもたえず自分の死ぬことを考えている(ここで真剣にそれを考えるのだ)。それから、お前や子供たちに何を残してやれるか、ということも。みんな家には金があると思っているが、なんにもありゃしない。いまわたしは『カラマーゾフ』という重荷を背負っているが、これはうまく完結させなくてはならない、宝石細工のように仕上げなくてはならない。ところが、これは骨の折れる冒険的なもので、おびただしい力を持っていかれてしまう。しかし、これはまた運命を決する作品で、これがわたしの名声を確立してくれなければならない。さもないと、なんの希望もなくなってしまう。
(「ドストエフスキー全書簡集」について)
この古典教養文庫版の「ドストエフスキー全書簡集」には次のような特長があります。
1、現在では使われない言い回しや言葉は、現在普通に使われる言葉に置き換えました。現代人には意味の取りにくい文は、平易な文に書きなおしました。しかし、その場合でも原訳の高い格調はできるだけ損なわないように最大限の配慮をしました。
2、原文で触れられた場所、人物、絵画などを中心に、関連する画像を、著作権フリーのものにかぎって、いくつか挿入しましたので、より興味深く読み進めることができます。
3、わかりにくい言葉や、登場人物、でき事、作品などについての適切な注を、編集者が割り注の形で入れましたので、本文の理解が深まります。
この「ドストエフスキー全書簡集」は全体を十巻に分けてあります。以下のように分かれています。
年毎に詳しい年譜をつけましたので、書簡集の内容を理解する手助けとなります。
一、ドストエフスキー全書簡集1 ——服役まで
一八三二年(一一歳)〜 五四年(三三歳)
二、ドストエフスキー全書簡集2 ——最初の結婚まで
一八五五年(三四歳)〜 五八年(三七歳)
三、ドストエフスキー全書簡集3 ——「地下室の手記」まで
一八五九年(三八歳)〜 六四年(四三歳)
四、ドストエフスキー全書簡集4 ——「罪と罰」の頃
一八六五年(四四歳)〜 六七年(四六歳)
五、ドストエフスキー全書簡集5 ——「白痴」の頃
一八六八年(四七歳)〜 六九年(四八歳)
六、ドストエフスキー全書簡集6 ——「悪霊」の頃
一八七〇年(四九歳)〜 七二年(五一歳)
七、ドストエフスキー全書簡集7 ——「未成年」の頃
一八七三年(五二歳)〜 七五年(五四歳)
八、ドストエフスキー全書簡集8 ——「作家の日記」の頃
一八七六年(五五歳)〜 七七年(五六歳)
九、ドストエフスキー全書簡集9 ——「カラマーゾフの兄弟」の頃
一八七八年(五七歳)〜 七九年(五八歳)
十、ドストエフスキー全書簡集10 ——死去まで
一八八〇年(五九歳)〜 八一年(死去)
この本は、その9にあたります。
なお底本は以下のとおりです。
ドストエフスキイ全集 17
訳者 米川正夫
河出書房新社
昭和四十五年十一月三十日 初版発行
昭和五十六年六月八日 第八版発行
(ドストエフスキー翻訳の金字塔!)
訳者米川正夫(1891—1965)は、岡山県に生まれました。1909年東京外国語大学ロシヤ語本科に入学、旧友の中村白葉などとともに『露西亜文学』を創刊します。1914年処女出版として新潮文庫からドストエフスキーの「白痴」を刊行開始しますが、この時は第四巻で中断の憂き目をみます。
その後幾つかの職を経験しながらも、1929年に白葉とともにトルストイ全集を岩波書店から刊行します。1935年の「罪と罰」を訳し、ドストエフスキーの五大長編をすべて訳し終わりました。
戦後は、個人訳による「トルストイ全集」(全23巻)と「ドストエフスキー全集」(全18巻)を刊行しました。
ドストエフスキーが日本にこれほど受け入れられたのは、この米川正夫による業績によるところが大きいと言われます。まさに金字塔と言えるでしょう。たとえば、小林秀雄はドストエフスキーについての評論を数多く書いていますが、そこに引用されているドストエフスキーはすべてが米川正夫のものによっています。また三島由紀夫の「仮面の告白」の冒頭引用されている、「カラマーゾフの兄弟」のドミートリーによる「熱烈なる心の懺悔」もまた米川訳によっています。
(古典教養文庫について)
古典教養文庫は、日本のみならず広く世界の古典を、電子書籍という形で広めようと言うプロジェクトです。以下のような特長があります。
1、古典として価値あるものだけを
これまで長く残って来たもの、これから長く読み継がれていくものだけを選んで出版します。
2、読みやすいレイアウト
文章のまとまりを、適切な改ページで区切って、電子書籍デバイスはもちろん、スマートフォンやタブレットなどでの読書に最適化しました。またMacやパソコンでも読むことができます。
3、すばやい操作性
索引を付けましたので、目次から直接アクセスできます。
4、美しい表紙
プロのデザイナーによる美しい表紙をつけました。書籍と関連づけられた美しい表紙で、実際の本を読むような感覚に浸れます。
5、スピーディーな改版
紙の本と違い、誤植の修正や改訂などすぐに対応でき、刻々と進化を続けます。古典教養文庫のブログに書き込むことで迅速なレスポンスが得られます。